福泉寺の歴史

福泉寺の歴史

 臨済宗大本山佛通寺派室磨山(しつまざん)福泉寺は、周りを山々に囲まれた自然豊かな静寂の中にあります。

 ご本尊は薬師如来です。現在の本堂は、昭和58(1983)年に建て替えられたものです。

 福泉寺は、寛永8年(1631)年、後月郡天神山村(現在の岡山県井原市芳井町)にある佛通寺派重玄寺第6世春海和尚の開基により創建されました。春海和尚より代々法灯を受け継ぎ、令和3(2021)年現在で390年、現住職で22世となります。

 福泉寺は、残念なことに、大正11(1922)年9月に火災に遭い、開基当初からの文献等が焼失し、詳細については不明ですが、郷土史書や古老の話をまとめると次のように言えます。

 昔、山野村の大原地区に真言宗の正光院という寺がありました。この寺は、おそらく鎌倉時代、大原氏が戸屋ヶ丸城主であった頃からの城付きの寺であろうといわれています。ところが、寛永6、7(1629、30)年頃、この寺が焼失しました。そこで、戸屋ヶ丸城関係の人たちは天台宗か真言宗の古庵のあった江谷の地に新しく寺を興しました。城関係の人たち(武士)が中心で寺を興したので、真言宗から臨済宗に変え、佛通寺派の福泉禅寺を建てたということです。

 寛政年間(1789~1800年)、第14世月江和尚の時、正光院が管理していた馬乗観音を再興。また、文化年間(1804~1817年)、やはり月江和尚が山野八十八ヶ所を設けています。

 このように、真言宗の正光院を引き継いだ関係で、臨済宗でありながら真言宗の正光院が行っていた馬乗観音の管理や、四国八十八ヵ所巡りなどの行事も行っています。

 境内には、初代春海和尚が植えたと伝えられる、広島県内で一番大きなモミの巨木(県の天然記念物)がありましたが、昭和45(1970)年の台風で倒れました。今は、やはり県の天然記念物に指定されているカヤの木が、慈悲深く見守ってくれています。

(一部、世良戸城著「山野語伝記」を引用しています。)