令和4年2月15日に山野八十八ヶ所お大師様の探索を致しました。今回の探索場所は『島串地区と堂谷地区』の2ヶ所です。当初より深く険しい山の探索と伺っていましたので、山歩きの重装備を整え出発いたしました。まずは、島串地区へ伺いました。探索隊長の世良先生を先頭に、約20年前の記憶を頼りに山中へ入ります。
「この辺じゃったんじゃけどのう。」見つかりません。、四ツ堂に安置されている為見つけやすいと思いきや、険しい山や竹藪に邪魔をされ、中々奥に進んで行くことができませんでした。最後には、近くにお住まいになられている島〇様のお力を借り、現場に到着することができました。
案内していただいた場所は、確実に通りすぎている場所でした。なぜなら、本来あるはずの四ツ堂は長い年月の間に倒壊し、本尊様とお大師様は倒れたお堂の下敷きになられていました。総代長と共に掘り起こし、その祀られていたであろう場所に安置いたしました。
続いては『堂谷地区』です。私は山野育ちですが、この活動を始めるまで山野町に堂谷という場所がある事を知りませんでした。皆様をご存知でしたか?堂谷は現在は山野町から行くことはできません。一旦、岡山県芳井町三原地区へ行き、そこから山中に入っていきます。車で行くことができます。まさに山野町の“飛び地”ですね。車で最寄りの場所に行き、そこからは徒歩で進みます。現在は住民の方はいらっしゃいませんので、山中には獣道しかありません。世良先生の記憶を頼りに進みます。
「右手にお墓を見ながら進んだのう」・・・しかし道はありません。先ほどと同じく竹藪を分け入り進んで行った先に、倒壊したお堂を見つけました。
倒壊したお堂から何とか本尊様とお大師様を発見し、安置いたしました。これで一安心です。以上で、不明となられていた札所をすべて発見することができました。ですが、課題はこれからです。現在、誰も通行しない旧道に安置されているお大師様、住民がだれもいない地区のお大師様。お堂も無くただ置かれているだけのお大師様。木の札だけ掲げられているお堂。どのように今後お祀りしていくのか。この八十八ヶ所をどのように後世に伝えていくのか。ご協力いただきました皆さまと共に考えていきたいと思います。今後も進捗につきましてはホームページを通じて、お伝えいたします。
最後に、この八十八ヶ所の札所を探索するにあたり、山野町内の多数の皆様のご協力をいただきました。皆様のお力添えがないと決して全て発見に至ることはありませんでした。心より感謝いたします。本当にありがとうございました。